性

ねえお父さん、となりの家はお母さんが1人なのに、どうしてうちは3人いるの?

1888年(明治21)約3分で読めます

横長 16:9。アニメ調の挿絵(ラノベの挿絵くらいの描き込み)。絵の中に文字は入れない。明治時代(1888年ごろ)の東京、お金持ちの日本家屋の座敷で、家族そろっての晩ごはん。一人ずつの膳が並び、ご飯と焼き魚と汁物。上座の主人(40代の男、口ひげ、上等な着物)が主役。アホっぽくにやけた能天気な顔で、得意げに胸をそらしているが、額にひとすじ汗。主人の右に正妻(30代後半の落ち着いた大人の女、地味な着物)が、知らん顔で湯のみのお茶をすすっている。主人の左と向かいに、二人の妾(20代後半の派手な大人の女。片方は華やかな柄の着物、もう片方は色っぽい目元)。妾二人は、主人をじっと見ている。手前で、末っ子の男の子(7〜8歳くらい、ふつうの子どもの着物)が箸を止めて、無邪気な顔で父を見上げて質問している。そのとなりに兄の男の子(10歳くらい)。子どもは家族の場面に普通にいるだけで、性的な要素は一切なし。大人どうしの色っぽさも出さない。ギャグ漫画の一コマのような、とぼけた空気。
AI で生成したイメージです。史料の場面をもとに描いた想像の絵で、当時の写真や絵ではありません。
東京(『時事新報』)

物語この団らんの食卓に禁句を!

セリフと心の声はこのサイトの創作です。本当にあったことは、下の「このエピソードの説明」と出典にあります。

明治の東京。わが家の晩メシ。

右に妻。左に妾。向かいに、もう一人の妾。そのまわりに子どもたち。

うひょひょ。両手に花どころか、三輪だぜ。

家の跡つぎのため、ってことになってるが、正直それだけじゃない。

にぎやかで、平和な食卓だ。


そのとき、末っ子のガキが、箸を止めて俺を見上げた。

「ねえ、お父さん」

「おう、どうした坊主!」

来たな。これはあれだ。「お父さんってかっこいいね」ってやつだ。

わかる。俺もそう思う。

「おとなりの家は、お父さんとお母さんが一人ずつだよね」

「おう」

「なのに、どうしてうちは、お母さんが三人いるの?」

「え」

「どうして兄ちゃんとぼくは、お母さんがちがうの?」

そっちかあ。

妻は黙ってお茶をすすっている。妾は二人とも、こっちを見ている。


俺の面の皮の厚さには定評がある。

その俺でも、これには答えられない。

できることは二つだけ。

黙って、ふっと冷たく笑ってみせるか。

「そういえば、明日は雨かな!」と話をそらすか。

俺は両方やった。

ガキは、まだこっちを見ている。

子どもの一言って、刃物みたいに腹に刺さるんだな。知らなかった。


よし、決めた。今日からうちは厳しい家にする。

家の中では、妻も妾も子どもも、主人の俺に頭を下げて仕えること。

例の話は禁句。口に出すな。言いたいことがあるなら、目で通じ合え。

完璧だ。これで、もう誰も聞いてこない。

次の日の晩メシ。

末っ子のガキが、何も言わずに、じーっと俺を見ている。

妻も、妾も、上の兄ちゃんも、じーっと俺を見ている。

目で通じ合うって、そういうことじゃないんだよなあ。

このエピソードの説明

「無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何」原文: 福澤諭吉「日本男子論」(1888、初出『時事新報』)

明治時代のお金持ちの家では、妻のほかに妾、つまり愛人を同じ家に住まわせることがありました。慶應義塾を作った福沢諭吉は、1888年、自分の作った新聞の『時事新報』に「日本男子論」という文章を書きました。その中で、家の跡つぎを産ませるために妾を養う習わしが、いつのまにか男の特権のようになったと批判しています。上の食卓の場面は、福沢がその文章の中で思い描いたものです。

福沢は1899年、女の人の心得を書いた昔の本『女大学』を批判した「女大学評論」という文章でも、この話を書いています。日本に来たアメリカの上流の女の人は、妻と妾が同じ家に住んでいると聞いても、はじめは信じませんでした。本当だとわかると、日本の女の人は生きている甲斐もない、かわいそうな人たちだ、と言ったそうです。

ミニ講義条約改正

同じころ、国は欧米の国々と対等になるために、条約改正の交渉を続けていました。福沢も1899年に、条約改正がもう数か月先に迫っているのに、このままで国の体面を保てるのか、と書いています。

出典 37件引用は原文と機械で照合済み
  • 福澤諭吉「日本男子論」(1888、初出『時事新報』) 原文
    その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも
  • 同上 原文
    無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何
  • 同上 原文
    さすが鉄面皮の乃父も答うるに辞なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし
  • 同上 原文
    小児の一言、寸鉄腸を断つものなり
  • 同上(年) 原文
    year=1888
  • 同上 原文
    古来家の血統を重んずるの国風にして
  • 同上 原文
    妾を畜うの風を成したるものの如し
  • 同上 原文
    妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり
  • 同上 原文
    早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり
  • 桐友散士『夜の女界』(1902) 原文
    圍者の住居である
  • 同上 原文
    鼻の下の長さうな
  • 同上 原文
    金のありそうなのを見附けて
  • 同上 原文
    一軒の家を持たして貰つたのが多い
  • 同上 原文
    嫉妬家で、また度外れの腎張である
  • 同上 原文
    醜男で
  • 同上、OCR の p.36 原文
    月に何回とか
  • 同上 原文
    出入する男とも懇意になり
  • 同上、OCR の p.37 原文
    柱に懸けた、三味線を取り下して、爪彈か何かで、心意氣を謠ひだすといふ仕儀
  • 同上 原文
    思ひ懸けぬ晩に、突然、旦突の御來臨
  • 同上 原文
    男は辛と戶棚の中へ隱して、目の前の酒肴が證據となつて、憐や、お拂凾となつて
  • 同上、OCR の p.38 原文
    態と、元氣の善い聲を出して、手づから、置ランプを手にして、玄關に出迎へる
  • 同上 原文
    熱柿臭い呼吸を、正面から、吹懸けるのにも、眉を顰めず
  • 福澤諭吉「女大学評論」(1899) 原文
    本年春の頃或る米国の貴婦人が我国に来遊して日本の習俗を見聞する中に、妻妾同居云々の談を聞て初の程は大に疑いしが
  • 同上 原文
    扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余の報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり
  • 同上 原文
    慚愧恰も市朝に鞭たるゝが如し
  • 同上 原文
    妻も子を産み、妾も子を産み、双方の中、至極睦じ
  • 同上 原文
    多婬の男子が妾など幾人も召使いながら遂に一子なきの例あり
  • 同上 原文
    条約改正、内地雑居も僅に数箇月の内に在り、尚お此まゝにして国の体面を維持せんとするか
  • 同上(年) 原文
    year=1899
  • 桐友散士『夜の女界』(1902) 原文
    表札は女文字
  • 福澤諭吉「日本男子論」(1888) 原文
    家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ
  • 同上 原文
    例の内行禁句の一事に至りては、言の端にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして
  • Wikipedia「福澤諭吉」 原文
    慶應義塾の創設者
  • Wikipedia「時事新報」 原文
    福澤諭吉の手により創刊された
  • 福澤諭吉「日本男子論」(Wikisource の書誌) 原文
    初出:「時事新報」時事新報社
  • Wikipedia「女大学」 原文
    江戸時代中期以降広く普及した女子教訓書
  • 同上 原文
    貝原益軒の女大学を批判したもの

ほかのエピソード