性

となりの顔も見えないお風呂でうわさ話をしていたら、うしろで本人が聞いていた

1888〜1889年(明治21〜22)約3分で読めます

横長 16:9。アニメ調の挿絵(ラノベの挿絵くらいの描き込み)。絵の中に文字は入れない。明治のはじめ、東京の銭湯の、柘榴口の内側の湯船。柘榴口は湯船の前に立つ仕切りで、上半分に山・川・花・鳥の派手な絵が描かれ、下が低くあいていて、体をかがめてくぐって入る。この絵では、その仕切りの内側から見ている。中はとても暗く、明かりは小さく、湯気がこもって、となりの人の顔がやっと見えるくらい。手前に、湯につかった大人の男(30代)が、楽しそうに悪口をしゃべっていた口のまま固まり、顔だけ青ざめて冷や汗をかいている。そのすぐうしろの暗がりから、別の大人の男(40代、ねじりはちまき、いかつい顔に引きつった笑顔)がぬっと顔を出し、肩越しにのぞきこんでいる。奥では、気持ちよさそうに目を閉じて歌をうなっている男がいる。全員大人の男で、肩から下は湯と湯気。暗さの中のコメディ。
AI で生成したイメージです。史料の場面をもとに描いた想像の絵で、当時の写真や絵ではありません。
東京の下町から山の手へ

物語この暗い湯船に陰口を!

セリフと心の声はこのサイトの創作です。本当にあったことは、下の「このエピソードの説明」と出典にあります。

明治のはじめ、東京。

俺は今日も、いつもの湯屋に来ている。

湯船の前には、柘榴口がでんと立っている。山だの川だの、花だの鳥だの、派手な絵がこれでもかと描いてある仕切りだ。ガキどもはこれを見て大喜びしている。

俺は大人なので、喜ばない。

ちょっとしか喜ばない。

柘榴口をくぐるには、体をかがめないといけない。そのうえ踏み板をまたいで、高い湯船によいしょと入る。

毎日のことだが、毎日めんどうくさい。


で、湯船の中。

暗い。

昼間でも薄暗いのに、夜はもう話にならない。明かりは足りないし、湯気はこもるし、となりのやつの顔すら見えない。

顔が見えないとなると、人間、口が軽くなる。

「なあ、聞いたか。三丁目の八っつぁんがよ」

俺は気持ちよく、八っつぁんの悪口をしゃべった。しゃべりまくった。

すると、うしろから声がした。

「おう。その八っつぁんってのは、俺のことかい」

…………。

湯船の中なのに、背中がすうっと冷えた。


気まずくなった俺の耳に、今度は歌が聞こえてくる。

湯の中でうなるやつは、昔からの名物だ。浄瑠璃に都々逸、浪花節にはやり歌。落語をやりだすやつまでいる。

ただし。

うまいやつは、めったにいない。

これも昔からのお約束だ。


それから何年かたった。1888年ごろの話だ。

近ごろ、湯船を低く作る湯屋が出てきた。「温泉風呂」なんて呼ばれて、下町からはやりだしている。

低い湯船には、柘榴口はいらない。あの派手な仕切りは、どんどん取っ払われていった。

あの暗い仕切りの奥も、いっしょになくなった。

……悪口が言いにくい。

歌うやつも、だんだん減っていった。

仕切りのない湯船はすっきりしたが、ちょっとだけつまらない。

このエピソードの説明

「浴槽の内は昼でも薄暗く、殊に夜間などは燈光の不十分と湯気との為に、隣の人の顔さえもよくは見え分からず、うっかりと他人の蔭口などを利いていて、案外にもその噂の主がうしろに聴いていたと云うような滑稽を演ずることもあった」原文: 岡本綺堂「明治時代の湯屋」

明治時代の半ば、1888年ごろまで、東京の銭湯では、湯船の前に柘榴口という絵の描かれた仕切りが立っていました。お客さんはこれをくぐって、高く作られた湯船に入ります。そのため湯船の中は昼でも薄暗く、湯気でとなりの人の顔も見えないほどだったと、作家の岡本綺堂は書いています。暗い湯船でうっかり人の悪口を言っていたら、言われた本人がうしろで聞いていた、という笑い話もあったと綺堂は書いています。暗い湯船の中で、お客さんが浄瑠璃や都々逸をうなるのも名物でした。

1888年ごろから湯船を低く作る銭湯が現れ、東京の下町から山の手へ広がりました。柘榴口は取りはらわれ、湯船の中の歌や芸も少しずつ減っていきました。

ミニ講義文明開化

同じころ、東京の町は、欧米の制度や文化を取り入れて作りかえられていきました。綺堂によると、銭湯のかまどのまわりも、警視庁の命令で石か煉瓦で作ることになって、火事の心配がぐっと減りました。

出典 13件引用は原文と機械で照合済み
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    浴槽は高く作られて、踏み板を越えて這入るのが習で、その前には柘榴口というものが立っているから、浴客は柘榴口をくぐり、更に踏み板を越えて浴槽に入るのである
  • 同上 原文
    柘榴口には山水、花鳥、人物など、思い思いの彩色画が描いてあって、子供たちを喜ばせたものである
  • 同上 原文
    浴槽の内は昼でも薄暗く、殊に夜間などは燈光の不十分と湯気との為に、隣の人の顔さえもよくは見え分からず、うっかりと他人の蔭口などを利いていて、案外にもその噂の主がうしろに聴いていたと云うような滑稽を演ずることもあった
  • 同上 原文
    昔から名物の湯屋浄瑠璃、湯ぶくれ都々逸のたぐいは、明治以後も絶えなかった。義太夫、清元、常磐津、新内、端唄、都々逸、仮声、落語、浪花節、流行唄、大抵の音曲は皆ここで聴くことが出来たが、上手なのは滅多に無いのも昔からのお定まりであった
  • 同上 原文
    明治二十一二年頃から今日のように浴槽を低く作ることが行われ、最初は温泉風呂などと呼んでいた。この流行は先ず下町から始まって山の手に及び、それに連れて無用の柘榴石
  • 同上 原文
    も自然に取払われた
  • 同上 原文
    柘榴口が取払われて、浴槽内の演芸会はだんだんに衰えた
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    女湯には「お世辞湯御断り申候」というビラをかけて置く湯屋があった。さなきだに、女客は湯の使い方が激しい上に自分の知り人が来ると、お世辞に揚り湯を二杯も三杯も汲んで遣る
  • 同上 原文
    女湯は男湯よりも三倍以上の水量を要すると云われていた。殊に男客に比べると、女客は入浴時間も非常に長いから、湯屋に取っては余り有難いお客様ではなかった
  • 同上 原文
    番台を仲介所にして、小説や雑誌の回覧を行っている形であった
  • 同上 原文
    番台の人たちは芝居の噂などをよく知っていて
  • 同上 原文
    警視庁の命令によって、釜前は石造または煉瓦作りとなったので
  • 同上 原文
    釜前は石造または煉瓦作りとなったので、出火の憂いは頗る減少した

ほかのエピソード